これは勿論たとえ話であり、現実に即した話ではありません。
さて、子龍や武者の名前を瞭然(はっきり)させるのも彼らに対して酷な話であるので、ここでは伏せるものとしたく思います。
時代は南北朝の末期、菊池の地では、筑後川の戦いののち、おおいに劣勢を強いられていました。とはいえ、ただ悲観に暮れ、侵攻を待つだけだったのかというと、決してそうではありません。十八外城をはじめとした30余りある支城群を以て、交戦し続けてた時代がありました。
―――それはまだ、子龍がまだ、子龍ではなかった時代。
外では帰還を祝う太鼓の音が響く中、菊池本城の厨房に人影が現れました。
それも1人ではありません、総勢20名もいるだろうと思われる、青年たち、若武者の集団です。こっそりと現れた彼らの目的は、厨房の端にあるカメの中身にあります。
現代では当たり前のように利用される甘味といえば「砂糖」ですが、その砂糖の伝来は奈良時代から。とはいえ、実際に菓子として使われるのは室町時代末期を待たねばなりません。諸説ありますが、その発端となったのがポルトガルから伝えられた金平糖やカステラが源流とも云われています。これらが伝来した室町時代末期より、日本人は「甘い菓子」というものに出会ったといいます。
が、それまで甘味がなかったわけではありません。
砂糖は高貴者達に薬として用いられていましたし、甘味料として古代から伝わる日本独自の調味料がこの時代にも存在していました。
米や粟などのでんぷん質を麦もやしなどに含まれる糖化酵素で糖化してつくる古代からある甘味料―――日本の仮名草子でも有名な「一休さん」の挿話にもある、あの甘味。
そう「水あめ」です。
彼らは、大の大人が厨房の端に隠されていた「水あめ」をめがけていたのです。
鎧は既に外しており、袴に軽装のいで立ち―――若武者たちの貌は、敗戦後でありながらも、どこか晴れやかに見えました。その先頭に立つのが、かつての子龍です。周りは彼をいさめようとしながらも一緒にカメのもとに立ち、そしてふたを開けました。
その笑顔たるや。
どの時代においても、隠れて味わう甘味に勝るものはありません。
こっそりと、人の目隠れて味わった、あの甘味たるや。
―――いいや。
その甘味を味わった、あの時間と仲間こそが。
「懐かしくなって呼んだなどと、いえるものかよ」
・・・・・・
祭りで、寂しくなった などと、いえるものかよと。
子龍は頬をかいて、ばつが悪そうに笑ったといいます。
(まあ、きっと気づかれてはいるのだろうけれどもさ)
―――子龍からの手紙(エピローグ)に続く